ごはんの種は蜜の味

二進も三進もいかないアラサーなオタク女の日々

便所飯は「ランチメイト症候群」と言うらしい

管理人が大学生〜新卒ぐらいの頃に流行り出した言葉が『便所飯』。

いわゆる「ぼっち飯」であるが、より狭義的に「一人になれるトイレの個室で食べるご飯」のことである。

便所飯、もといぼっち飯は現在「ランチメイト症候群」と呼ぶらしいと、つい最近知った。ちょっと語感がオシャレになっている。

 

 

管理人は一人でも平気で飲食店に入るし、弁当も食べる。

 

とは言え、ぼっち飯を強要された時期もある。
中学時代だ。端的に言えばいじめであり、つま弾きにされていた。
が、神経はそれなりに図太い一面があったせいか、普通に教室で食べていた。周りに人がいないだけである。それがふてぶてしいと、気に入らない層もいたかもしれないが「なぜ私が外で食べなくてはいけないのか?」と疑問から、とりあえず教室に残っていた。

 

しかしこれ自体がトラウマになっていないのは、がらりと環境が変わった高校では普通に友人と教室で弁当を食べていたからだ。
何よりも家族と一日1食は食事を共にする環境だったため、ぼっち飯への恐怖心は育たなかった。

 

管理人は一人で行動するのも好きだ。

特に大人数に囲まれて仕事をしていた時、むしろ誰かと喋りながら食事をするのがわずらわしいことが多かった。
これは毎回違うメンバーであれば、そう思わなかっただろうが、毎日毎日同じ顔と仕事中も会話をするのに、昼休みまで拘束されたくはなかった。
何様と言われそうだが、「仕事中もそれなりに会話をする」「毎日毎日同じメンバー」が問題だった。これが一ヶ月に1回とかなら、まったく苦ではない。ましてや強制されるとなるとただ苦痛なだけだ。
そんなわけで、昼休みは基本的に外へ出て、あちこち飲食店を巡ってランチをし、店ごとの特徴や接客などを観察していた。客層も見ていた。そして時々、同僚と食事をする機会がある時に紹介する。話題提供だ。

 

管理人は一人であること=孤独であることとは思っていないし、孤独はそこまで好きではない。

一人で行動するのは、他人と行動する時に備えてのことでもある。

フットワーク軽く、あちこちの飲食店を巡っていれば「あの喫茶店はゆっくりできる」「ここは分煙が甘いので匂いがつく」と言った知識がつくし、本屋を巡っていれば「ここはコミックが豊富」「コミックは少ないが官能小説が多い」と言う特徴を他人に教えることができる。
常に誰かと一緒に行動していないといけなくなると、フットワークは一人でいるよりも重くなり、かつ相手に提供できる情報も底をつく。

 

コミュニケーションが得意な人間は、一人の時間を大事にする。
大事にすると言うことは、ただぼーっとしていることではなく、一人でいる間にフットワーク軽く行動すること。読書でもいい、映画を観るでもいい、旅行もOK。

そして一人の時間で得た情報や知識を、会話なり文章なりで、他人に提供する。相手にメリットのある会話ができる。
それが本当の意味でコミュニケーション能力の高い人間だ。

 

そう言う意味で、オタクはコミュニケーション能力が高くなる素地を持っている。
ただ、あくまで趣味の追求に没頭しているだけでは、人脈も視野も狭いままで、そこに問題が発生する。要はバランスだ。

 

……と、教えられてきたが、実践できているかどうかは過大評価したくない。

実際のところ、一人でぼーっとカフェ飯するのも好きだし、友達とグダグダ上等の飲み会をするのも好きだし、とりあえず好きでやっている。

一人でいることを寂しいとは思わないが、一人でいることは寂しいことだと思っている人を見るのは寂しい。

 

そのため、友達代行サービスなるものを見た時、この世は地獄か乱世か、と目眩を覚えた管理人だった。

SNSでちょっとしたリア充を演出するために10〜15万ぐらいかかる。

そんな金あったら、一人で温泉宿にこもって缶詰になっている作家気分を味わう贅沢な遊びをしたい。

筆を折る決意をした人へ〜漫画家とは?〜

ツイッターをしていて、このような記事を発見した。

www.ultrac2017.com

 

この元漫画家志望の女性は24歳ながら、多くの気づきを経た上で、挫折を糧にしているし、そうしていこうと決めている。なかなかできるものではない。

生来、真面目な人なのだろう。

ただ、彼女よりもずっと年長で同性の管理人からすれば、潔癖が過ぎる印象を受けた。潔過ぎる。
天晴れと言ってやりたい気持ちと、今は冷却期間と考えればよいのでは、と思う気持ちがある。

 

 

そもそも彼女がなりたかったのは『漫画家』だったのか。
それとも『漫画で誰かの役に立つ人』だったのか。

 

同人活動も、ただただ自分の好きなものを描く建前ではあるが「私と同じことを思っている(=同じ萌えを抱いている)誰かに届いて欲しい」と言う気持ちは存在しているものだ。
しかし、純粋に「同人作家」に憧れただけで、そこから前進しない層も存在している。それはただ「同人作家になりかった」だけであり「同じ思いを誰かと共有したい」から同人をやっているとは言いがたい。

 

様々な葛藤を経た上で、筆を折った彼女には申し訳ないが、文面を読む限りでは、彼女は「漫画家になりたかった」人であり「漫画で誰かに何かを与えたい」から漫画家を目指したようには見受けられない。

別に感動を与えたい!とかでなくてもいい。純粋に「お金が欲しいから」漫画家になりたいと言うなら、それはそれでマーケティングに則り、自分の描きたいものよりもウケているもの、さらにはその先に流行るものを見越して描く職業作家の方向に進めばいい。
ある意味、読者(=需要)のことを第一に考えているタイプとも言えるし、出版社からすればハズレが少ないため、安定して収益を見込める存在として重宝する。

 

職業としての漫画家は、表現者でありながら、事業主である。

事業主である以上は、出版社は取引先の企業だ。となれば、出版社にとって利益を得ることができる存在にならなければ、その出版社からプロとしてデビューは困難になる。

ネームを殆ど通さなかった二代目の担当者は、出版社の収益面を無視しないシビアな人材だったと言う見方もできる。ネームはビジネスの世界における企画書であり、それを見せることはプレゼンだ。そして出版社にとって利益がないと判断されれば、プレゼンは通らない。

 

だが、なかなか漫画家と言う職業を、出版社を通して商業ラインに乗せる以上は『事業』であり利益を追求するものと、割り切るまでにいかなくとも頭の隅に入れておくのは、十代〜二十代で、漫画家に夢を持っている人ほど難しい。

「漫画家は夢を与える仕事」と思っていればいるほど、現実世界のビジネスの概念から程遠い存在となり、さらに(世間一般で言う)漫画家になるための登竜門が「出版社から商業ラインに乗る」ぐらいしかないと思われている現状が、そのイメージを固定化させている。

24歳の彼女に、そこまで完全に割り切れと言ってしまうのは酷だが(完璧に割り切る人間だけが漫画家になれるなんて、それはそれでね、寂しいからね)、漫画をビジネスにする以上はそうした側面も確実に存在する、と頭の隅にあれば、もしかしたら歯車が上手く噛み合うことがあったかもしれない。

 

 

 

ちなみに管理人は過去の記事通り、近畿地方の某芸術大学の卒業生だ。

 

naranomi.hateblo.jp

 

母校には漫画家を養成するコースが存在し、管理人は専攻の関係上、彼らと同じ講義を取ることが多かった。

だがそれでも、少なくとも在学中にデビューした人の話は聞かなかった。

 

しかしそれは「個人で」の話だ。

興味深いことに、「職業漫画家」を正社員として雇用する企業を恩師と共に立ち上げた後輩達がいた。
彼らは漫画家を志して入学した。だが、どこかの出版社に投稿してデビューする道ではなく、起業を選んだ。
彼らは基本的に個人名で仕事はしない。作成した著作物は自社の共有物と考えている。もちろん、個性を潰すのではなく、適性をみた上で個々に仕事を振っている。完全分業制だ。

いわゆる「漫画家になりたい!」と思っている人には、信じがたい業務形態であることは否めない。

だが元々彼らは「収入が安定しない漫画家が、安定して漫画で食べていくための手段」として、このビジネスを始めたのだ。出版社からデビューするだけが道ではない、もっと安定して、漫画を描くことで生活していくことはできないか、と模索した結果だ。

 

視野を広く持つ、とはこういうことだと思っている。

漫画を描く、表現力を広げるために視野を広く、ではなく、職業としての漫画家として生きていくことを考えた時、そのあり方さえも変える発想が必要なのかもしれない。

 

件の彼女は、もう24歳と思っている節があるが、正直言ってまだ若い。
母校には24歳でも学生をしている人は多くいたし、一度社会経験を積んでから再入学した人もいる。

仕事は生きる手段の一つに過ぎない。
また漫画を描きたい!と言う気持ちが甦った時、素直に戻ってくればいい。ただ「漫画家と言う存在になりたかった」だけだったと思ったのなら、それも一つの答えだ。

漫画を描くこと、漫画家になる夢への冷却期間。どうか色んなものに触れる二十代を送って欲しい。人生はまだまだこれからだ!

 

お題「受験」〜この世で最もアドバイスしてはいけない人間〜

今週のお題「受験」

 

管理人はいわゆる一般的なイメージの受験勉強をしていない。

 

いや、多少語弊があるが、血の滲むような努力の末に涙の合格発表、のようなサクセスストーリーを経験しなかっただけの話だ。

 

 

管理人は近畿地方にある、四年制の芸術大学の卒業生だ。
実は芸術大学に入る前、画家のもとで絵を学んでいたが、高校三年生の夏に筆を折った。

えっ、普通そのまま美術の道に進むものでは?

そう言われがちなのだが、当時若干の中二病的思考に陥っていた若かった管理人は、絵で食べていくビジョンが描けなかった。
漫画家に興味はあったが、すでに漫画は殆ど描いておらず、油絵でも画家として食っていくと考えると、どうすれば生活費を稼ぐことができるか思い描けなかった。

何より、それで食べていけるような人間は、高校までの間にデビューしているものだし、大学でデビューとしても、まったく違う分野の大学である方が話題性もある。そう考えていた。

 

無論、デビューなんてとんでもない。実力にしても子ども二科展で二度入選した程度だ。ただ、これに関しては、逆に言えば子ども二科展にしか出したことがないので、他でどういう成績を残せたかは今を以てしても謎のままだ。

 

今思えば少し勿体ない。高校デビューこそ叶わなかったが、十代であるアドバンテージは確かに存在していた。アラサーになった今なら分かる。充分若いよ。

 

そんな管理人だが、前述通りに芸術大学へ進学している。

専攻は美術でも、ましてや音楽でもなく、実は文芸分野である。小説、脚本、評論と言った、とにかく文章による表現を学ぶ分野に進んだ。

何故美術でなく文芸か。理由は、まぁ当時小説で同人やっていた、と言うのも大きいのだが、まず「文章が書ければ食べていけるのではないか」と言う打算があった。

どんな職種に就くとしても、文章力とは無縁ではいられない。書かずとも、読解力がなければまともな生活ができない。識字率がほぼ百%の日本社会において、文章が書けることは当然とされているが、逆に日常的に接する文章のレベルも高い国でもある。ぶっちゃけ分かりづらい文章が多いし公的な文書とか法律文とかね。

 

ならどの大学へ行っても良い気もするが、そこを選んだ理由はきちんと存在している。

どうしても、この教授に教わりたい。そう思った人物がいたのだ。こればかりは他の大学では代替ができない。
東京の大学がいい、せめてもっと有名なところとも言われたが、立地や偏差値に変えられない「オンリーワンの理由」が確実に存在していた管理人には響かなかった。

 

 

前提の話が長くなったものの、実は高校一年生の段階で進学を決めていたため、準備期間は長かった。

入試は小論文のみだったため、こつこつと本を読み、文章を書いた。
同人小説も書いていた

 

だが、思わぬ事件が発生する。

 

高校三年生になった時、MMOゲームにハマってしまった

 

そりゃもう廃人一歩手前だ。それでも、学校には通うだけ通っていたのだが、成績は下がった。非常にやばいパターンである。さらにアホなことに「他の大学行く意義を見出せないので、滑り止めは受けません」と宣言してしまった。

 

 

んんん〜〜〜〜若気の至りっ!!

 

 

 

MMO廃人寸前、かつ滑り止めを受けない、成績下降者。

結果どうなったかと言うと、

 

 

 

一発で合格してしまった。

 

 

 

ちなみに、一種の囲い込みとも言われるAO入試ではない。
AO入試はそもそもなかったし、あったとしてもMMO廃人一歩手前の人間の成績など推して測るべしなので、むしろAO入試だと落とされていた。

推薦入試ではあるが、特に成績の基準はなく、高校の校長が「願書出スヨーン」と送ればひとまず受理して貰えるもので、あとは入試時の点数だけで決定する。

ちなみにだが、この年は諸事情により、倍率が例年よりも跳ね上がっていた。
幾重にもやばい状況だったのだ。

 

運が良かったのだろう。きっとそうだ。

だが、運と言うのは馬鹿にできない。運が悪ければスタートラインにすら立てない状況も往々にして存在するからだ。

 

 

だが、正直言ってこんな人生なめくさった受験方法はオススメできない。

リスクがあまりに大き過ぎる。

管理人は非常に運が良かった。まるで間と間を縫うように、するんと合格のボーダーを越えたと言う面も大きい。

しかしながら、全く何もしなかったかと言うと、そうでもない。

小論文は一朝一夕で技術が身に付くものではない。何かしら文章を書き、本を読むことが一番の近道だ。
管理人は二年以上の準備期間があったことと、本を読むことと文章を書くことは継続していたので、とりあえず当時の合格ラインの文章は書くことができていた。

 

あとは、受験生本人だけではどうしようもないのだが、家族の度量も必要になる。

「うちの子は絶対合格するわ♡」と言う、何を根拠にしているのか謎の自信があった両親及び親族により、管理人もそれがプレッシャーではなく「確かに!」と胸を張っていたのも、案外運を呼び寄せる結果となったのかもしれない。

 

ちなみにMMOだが、今はすっかり引退している。

 

 

 

 

何とも参考にならない受験話だ。

管理人はきっと受験生にアドバイスしてはいけない人間に違いない

 

 

USJのコラボグッズに転売の影

当日に書こうと思ったら、日頃の運動不足により、肩に猛烈な痛みを覚えて断念。

 

1月19日、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン
通称ユニバに久しぶりに行ってきた。※管理人は関西人。

理由は言うまでもない、クールジャパン2018が開幕したからである。
名探偵コナンのグッズを物色しにいくのが大きな目的だ。

 

あれ、名探偵コナン・ザ・エスケープは行かないのか?と思われそうだが、それは後日行く予定だ。レポートも書きたいところだが、リアル脱出ゲームは基本的にネタバレ厳禁なので、書くとしたらフワッとしたことしか書けない。

ネタバレにならない範疇のことで書けることがあったら書きたいね。

 

で、何を買ってきたかと言うと、蝶ネクタイ型変声機とRX-7トミカだ。
ネクタイ2900円+トミカ1200円でしめて4100円である。

まぁ実は他にもこっそり買ったものがあるけど、一番の目的はこの二つ。

本当はゆっくり買いに行こうと思ったのだが、前日の18日、すでにグッズが店頭に並んでおり、信じられない話を聞いた。

さっそく買い占めが発生したのである。

 

ツイッターの情報だったが、安室透の愛車・RX-7トミカを、店頭に並んでいる分を全て買い占めた人が現れたそうだ。
その後、ヤフ○クには定価以上の価格で出品されていた。それに関しては私も検索してみて確認した。

 

まさに遺憾の意っ!

 

実を言うと管理人も、以前、目の前でごっそりと商品を持って行く人に遭遇したことがある。

それは東急ハンズとコナンがコラボした時だったのだが、限定商品と言うこともあってファンが殺到した。純黒上映時期のコナンカフェよりはマシだったらしいが、個数制限を設けていない店舗だったため、目の前で50枚ぐらい一気にICカードシールを、まさに根こそぎ攫う形で持って行った人がいた。

私は運良く欲しいキャラのをとにかく手に掴んだ!な感じでゲットしており、必要以上に取ってしまった2〜3枚は棚に戻そうとしたのだが、それを察知した人々に「それ戻すんですよね!譲って下さい!」と囲まれてしまった。

とにかく、勢いが凄かった。
あれはバーゲン会場か、お値段は全然バーゲンしてないのに

それ以外でも、私が掴んだグッズを横から「ふんっ!」と勢い良く引っ張ってもぎとっていったお嬢さんもいた。
私が先に掴んだのだが、横からそのお嬢さんも手を伸ばしたのだ。「えっ」と思って横を見たら、あっと言う間に引きちぎらん勢いで持って行かれてしまった。あの時、目があったが、いやホント怖かった。

 

こういうことを書くと「○○のファンって怖い」と画一的に思われがちだが、流行るジャンルはだいたいこういう側面があり、なおかつ公式が限定商品を出したとなれば、皆必死になってしまう。

そして何よりも、転売屋が沸く。これが一番厄介。

 

大量購入する人=転売屋だとは必ずしも正しくない。
痛バッグや祭壇の文化を考えれば、同じグッズを大量に欲しいファンも確実に存在しているからだ。しかし、それらファン心理を突くように転売屋は出現し、まさに寄生虫のようにファンに紛れ込むのである。

 

……ともあれ、やっぱりユニバのグッズも転売屋が現れたか〜と、戦々恐々としたが、管理人は無事に欲しい分はゲットできた。

限定商品ではあるのだが、現在、ユニバは一部のグッズに購入制限をかけている

RX-7トミカと、あとは腕時計(7500円)は一人3個までだ。

友達の分も欲しいと言う人には少々厳しい個数ではあるが、ユニバが転売屋を駆逐するために下した決断だと考えて欲しい。なのでクルーに文句を言うのはやめよう。

 

客が店を選ぶなら、店も客を選ぶ

 

ツイッターで見かけた呟きだ。

元記事はこちら。

www.can-labo.com

 

創作空間caféアトリエさんは、私自身はこのツイートを見かけるまで知らなかった。

サイトや過去の呟きを拝見して、コンセプトから照らし合わせてもこれは妥当な判断だと、私は感じた。

 

※以下の文では便宜上、六歳以下の子どもを「未就学児」でまとめた。

 

創作空間caféアトリエさんのコンセプトは『美術部のようなカフェ』だ。

美術部と聞くと、どんなイメージだろうか。私の場合、美術室で石膏モデルを囲んで黙々とデッサンをしているイメージが強い。もちろん、描くのは風景画だったり、今だとパソコンで描いているかもしれないが、そのいずれも共通するのが「黙々と」である。

必ずしも沈黙する必要はないのだが、ゆったりと、自分のペースで、しかし孤独ではなく誰かがいる安心感がある、そんな環境を提供するカフェなのではないだろうか。

 

そうなると、騒音がもっとも問題となる。

 

立地面から考えて、車の交通量が多い場所ではない。駅も離れており、車両による騒音は殆どないのだろうと推測される。

客のお喋りも特に制限はないようには思われるが、周りに迷惑がかかるような大声はさすがに注意を促すだろう。大人であれば、注意すれば守ると言う判断ができる。守らないのは、守らなくてもよいと判断した上での迷惑行為であり、入店を断ることも可能だ。

しかし、子どもは注意しても聞かない。もちろん、注意すれば素直に聞く子もいるが、未就学児すべてにそれを求めるのは酷である。見慣れない環境に不安を抱いて泣いたり大声をあげたりする子もいる。逆に、創作が好きで興奮してしまう子もいるだろう。

そういう子どもが集まると、まさに数の暴力になると言ってもよい。ましてや母親が容認・放置すれば、援護射撃も同然だ。静かな空間はいとも容易く崩れさる。

では、静かに創作に打ち込みたいと思って来ている客、恐らく本来このカフェがターゲットとしている層はどうするのか。何もしない、言わない。ただ、消えるだけである。

 

カフェの経営者が未就学児の入店を禁止したのは、英断であると思っている。

 

ツイートなどから考えて、すでに店は騒音問題だけでなく、少なくない実害を受けている。
こればかりは、子連れ客を擁護できない。もちろん全ての子連れ客がそうであると言うことではない。

しかし、画材の破損や親の注意不足により、備品の再購入やメンテナンスにかかる費用に加えて、騒がしくて作業ができなかったとして帰っていった客の存在……つまり機会損失まで受けているのだ。

 

ちなみに私は、よくあるベビーカー論争に関しては容認派だ。

子育てをしているとどうしても荷物が多くなるし、子どもが機嫌を損ねて石のように固くなって歩いてくれなくなることもある。そうなると、ベビーカーに乗せるしかない。

おんぶ・抱っこも、母親の体調や身体上の理由でできないこともある。外出に必要な荷物量を考慮すると、米俵一つは余裕で持てるだけのパワーが必要だ。

ベビーカーを使う母親の多くは、ベビーカーを使いたくない。だが、現状としては使わざるを得ないのだ。

 

だが、今回に関してはそれと別問題だ。

 

今、カフェは乱立している。特に創作空間caféアトリエさんのある場所は、決して地方の話ではない。大阪のなんばの話である。

大阪は喫茶店数が全国1位(2012年)とも言われている。たとえ変動があったとしても、全国で五本の指には入るのは確実な、喫茶店(カフェ)天国だ。

そうなると、普通の「美味しいコーヒーを出すカフェ」程度では、決して売りにはならず、すぐに閉店の憂き目を見てしまう。それだけ競合が多い地域なのだ。

結果、カフェの細分化が行われている。つまり、その店にしかないコンセプトが必要になる。ストーリーと言ってもいい。

 

創作空間caféアトリエさんには、明確なコンセプト=ストーリーがある。

イラスト、漫画、ハンドメイドなどの創作が大好きな方のための「美術部」みたいなカフェ。

店内ではクリエイター作品の展示・販売も行うなど、創作活動を応援しています。

公式サイトより引用

これが「根本」だ。

これだけは絶対に曲げてはいけない、と、経営者が考えている部分である。そして経営者の考え=経営戦略は、画一的なものではない。最適解はあっても正解はない。

まず軸になる客層は「創作が大好きな方」だ。これには本来、ママクリエイターも含まれている。そして実を言うと、今も創作空間caféアトリエさんはそれを外してはいない。

あくまで「未就学児の入店を禁止」しただけである。

つまり、未就学児を連れて来ないのであれば、ママであっても入店できるし、一定の年齢を越えれば子どもを連れてきても(現状は)問題ないのだ。

子どもを生んだらはいさよなら!ばいばいきーん!ではない。

それを、まるで鬼の首を取ったかのように「差別だ」「子連れにだけ冷たい」「特別ブースを作って」と言うのは筋が違う。数年経てば連れてきてもいいし、気に入らなければ行かなければいいだけなのだ。客は店を選ぶ権利がある。それゆえに店は苦心して客を呼ぼうとするのだが、逆に店が客を選んではいけない道理もない。

創作空間caféアトリエさんはそもそも「創作をする人」をターゲットに絞ったカフェなのだ。そして、その創作をする人が何を望んでいるのか──経営者が出した答えが「適度な静けさ」だった。それだけのことなのだ。

 

管理人の意見は、あくまで一意見で、何よりこのツイートでカフェの存在を知ったレベルの人間だ。だが、子連れ論争には前々から関心はあり、何らかの形で意見は吐露しておきたかった。

ちなみにベビーカー容認派で、妊婦・ママがもっと外へ出てもいいように環境を整えるのは重要だとは思っている。しかし、かと言って妊婦だからママだから(子どもだから)許せ、とも思っていない。ゾーニングを適切に行う、差別ではなく区別を正しく判断するが、私が考える最適解だと思っている。

 

いっそのこと、子連れ歓迎!ママだって創作活動したい!をコンセプトにしたカフェを誰か開けばいいのではないかと思っている。

ある一つの店が未就学児入店を禁止した……たったそれだけのことに、やれ差別だなんだ騒ぐぐらいなら、いっそそういう子連れ創作カフェを経営してみてはどうか。

デモデモダッテ!私はできないから言ってるの!はただの言い訳だ。

 

…と言うと、今度はカフェやりますぅ〜♡からの経営失敗→○○さんはできるって言ってた!私悪くないもん!と言うなすり付けが起こるんだろうなぁとか思うのだった。

 

www.news24.jp

blog.livedoor.jp

 

全ての道がローマに通ず、みたいな思考で「全ての人間が入店できる」と、どこでもお客様感覚で思い込んでいたら大間違いですよっと。

むしろ経営者の人は、コンセプトがある以上、決して安易にブレずに突き進んで欲しいものだ。

同人書店って昔は憧れだったんだなぁ

インテに行ってきた。一応サークル側だ。

毎回思うのだけど、もうちょっと搬入荷物を減らしたい。何故なら、搬出時の段ボールが重くて筋肉が絶叫するレベルで痛くなる。ヒント:運動不足

とは言え、今回は搬出列が殆どなかったため、かなり楽だった。

 

久しぶりに、スペースに同人委託販売の営業さんがいらした。

弱小のため、滅多に書店の営業さんが来ることはない。こんな寒い中大変だなぁ…と思いつつ、名刺を頂戴したところ、私が同人を始めた頃に憧れていたお店だった。

 

もう二十年近く前のこと。当時の書店委託と現在の書店委託では、ハードルそのものが違う。今は売れた分だけの手数料(だいたい売上3割ぐらい)だけで預かってくれるし、審査も格段に通りやすい。

二十年近く前だと、書店に預けるのは大手さんだけ。他は相手にされない。あるいは、手数料以外に棚代(いわゆる固定の委託料)を支払って預かってもらうもので、トントンどころか赤字のサークルにとってはメリットがあまりなかった。

自家通販もまだまだ主流であったのも大きい。わざわざ、かなり高額なマージンを取られる書店委託よりも、どこかの同人情報誌に「通販しています」と投稿する方が実入りがあった。生身の声ももらえるし。

それが、個人情報の扱いが慎重になったこと、同人が市民権を得たこと、ウェブ通販のハードルが下がったことなど、様々な要因があって、今は自家通販は少なくなり(減ったと言うよりも匿名サービスや、boothのようなサイトが増えた)、発行部数が最少のサークルでも審査は通るようになった。

 

件の憧れのお店も、今では数ある同人委託店の一つだ。

だがかつては、よほどの大手でなければ預けないどころか、店からのお声がかかって初めて委託が可能であり、審査してくれと同人誌を送っても弱小では相手にされないとまで言われたところだ。

今は同人委託が一つの事業となっているらしく、他店に対抗すべく幅広くサークルを集めたいのだろう。

なんと言うか、時代が変わったなぁ……と、実感したのだが、生憎と委託できる本はなかったので丁重にお断りした。

 

確かに、ピンポイントで挨拶にきたのでなく、何百と言う数のサークルを廻っているとは思うが、それでも全体の何割かのうちであり、その中に私のサークルが入っているのは何故だ? と思ったのだが、なんてことはない。

そういや……サークル登録だけしていた気がする。

つまり、登録したくせに一冊も預けていないから、ピックアップされただけの話だ。

 

とりあえず、筋肉痛がやばい。

 

勉強が評価されにくかった時代

これから書くことは、あくまで管理人の体験に基づくものであり、当時の全ての学生がそうであったと論じるものではない。

 

 

管理人が新卒カードを切って就職活動をしていた頃は、The global financial crisis=リーマン・ショックの影響を最も受けていた時代だ。
ここ最近の景気や有効求人倍率が上昇している、と言われる時、ここを起点にして上昇していると考えられている。つまり、就職が困難を極めた、もっとも暗い時代だった。
ここ最近に景気が回復していると言われても、自分達がもっとも社会に対して夢を見ていた新卒の就職活動時に、史上最悪の有効求人倍率をピンポイントで経験している人間には、だったら何故自分達がハズレくじを引いたのかと言い返したくなるほどだ。

 

管理人は当時、ゲーム会社への就職を希望していたが、夢は破れた。
なにせ、もっとも深い谷底の時代であり、周囲の社会人はみな、自分達よりも浅い場所にしかいない。彼らは「どこかは就職できるって!」と楽観的だが、当事者達は肌で感じていた。無理だ、のれんに腕押しどころか、のれん自体が存在しない。一条の光も差さない奈落を歩いている。

当時の就活生の多くは、それを経験しているだろう。

そんな中で就職セミナーに参加したり、就職支援を受けたりしても、彼らの語る攻略法は彼らの時代に通用した方法論であり、企業も就活生も疲弊している時代にはそぐわなかった。ただし世間が暗中模索を始めた時代なのだから、そのことを誰も責めることはできない。

 

求人がそもそも少ない時代、勉強ができるだけではダメだった……を通り越してしまい、企業は「勉強よりも個性」を求めていた、へんてこな時代だった。

大学の成績で優が揃う人材よりも、国家資格を苦労してとった人材よりも、留学と称した海外旅行に一度だけ行った学生が持て囃され、大学の授業よりもバイトに勤しんだ学生が賞賛された(なお、本当に留学制度を利用して懸命に学んだ人や、授業と両立してバイトに勤しんだ人は、先の言い方で過剰反応することはないだろう)。

海外に行ったことがない、バイトも殆どしていない、しかし大学に真面目に通い詰めて勉学に励んだことは、アピールポイントにならなかった。おかしいことだし、にわかには信じられないことだが、今から十年ほど前の就活では珍しくなかった。

 

前述通り、管理人はゲーム会社への就職を希望していた。
しかし、全滅だった。新卒にも、何らかの商業に近い経験を求めている企業が多かった。
「こういう仕事をしたいです!」と望んでいる新卒を教育する余裕が、どの企業にもなかったのだ。即戦力以外は回れ右が当たり前のように宣告されていた。
もっとも企業も、採用できるのは一人か二人のため、どうしても教育コストが低くて済む人材を優先したいだろう。彼らにとっても苦しい時代だったのだ。

 

若かった私は、全て自分が悪いと考えていた。

勉強が足りなかった、あるいは勉強を削ってバイトするべきだった、夢なんて見ない方がよかった。などなど。

また、誰も原因が分からなかった。時代のせいと言えたのは、結果論だ。

私は今でも、就活(転職)に対して恐怖心がある。得体の知れないものを感じてしまう。評価をされない、無碍にあしらわれるなど、そういう次元の話ではない。

あの頃に味わった、奈落の底を歩く感覚が、まだ体に染み付いているせいだ。

それでも少しだけ、あれを「時代が悪かったのよ」と、責任転嫁ができるようになってきた。全ての業を自分で引き受けないで済むようになった。

 

 

景気が回復し、就職率が上がっていることを、少しばかり素直に喜べるようになったので、吐き出すように記事にした。

よって「私達はこんなにツラかったのよ」と、今就職・転職で苦しんでいる人に追い打ちをかけるつもりはない。しかし、同じ暗闇を歩いてきた人間はたくさんいる。とだけは言いたい。どうか、ああ、そうなのね、ぐらいで聞き流して欲しい。

 

それぐらいの受け止め方が、きっと心に一番良い。