お題「ひとりの時間の過ごし方」〜ぼっちコスプレイヤーの過去〜
原稿をしている。
あまりに身も蓋もないのだが。
ひとまず一人でできることを優先しているが、大抵のことは一人の時でもできるものだ。
昔から、人様ともご飯を食べるが、一人で食べに行くのも平気な性分だ。
以前、自分のハマっているジャンルがカラオケコラボをすれば、毎週ヒトカラに通ったせいで店員に顔を覚えられた始末である。
管理人、かつてコスプレをしていた人間だが、併せ(=複数人と一緒に撮影すること。大抵は日程を決めてスタジオで行う)は殆どしたことがない。
さらに言うと、カメラマンと1対1の個撮もしたことがない。
えっ、じゃあどうやって撮影していたの? と言われそうだが、なんてことはない。
被写体もカメラマンも一人でこなした。
ただそれだけなのである。
自撮りができる(背面パネルが動く)ミラーレスカメラを使い、フラッシュを設置し、ピントを遠隔操作のスイッチで合わせて押し、ポーズを取る。
もちろん、ピンぼけ率も高めであるし、ポーズ等のチェックが甘くなることも多い。
だが、非常に楽なのだ。
精神的に楽なのだ。
まず、撮影したいと思い立つ。
通常であればカメラマンを引き受けてくれる人を探す。予定を調整する。スタジオを手配する。
複数人であれば予定調整に時間がかかるし、参加コスプレイヤーを公募する場合は集まるまでの待機時間も必要になる。
さらに人数が増えるにつれてトラブルが起きやすい。事故や急な不幸は致し方ないとしても、よく分からない理由でいきなりレイヤーやカメラマンが雲隠れしてしまうケースも散見する。
これらの様々な手間やリスクを考えると、撮影とは如何にもハードルが高い行為だ。
が、一人だとそんな心配はいらない。
待つ必要もなければ募る必要もない。行きたくないな〜と思えば行かなくてもいい。事前にスタジオを予約していた場合はキャンセル手続きをしておくべきだが、屋外コスイベント等、事前予約なしでキャンセル規定がないような場所であれば問題ない。
そして人間関係に悩む必要もない。
苦手な人がいるけど、他の人とは仲が良いから……他に○○のキャラをできる人がいないから……こうしたちょっとしたモヤモヤともおさらばだ。
しかし、問題がある。
全てピンショットになってしまうことである。
咳をしても一人*1ではなく、撮っても一人である。
さすがに分身の術は身につけていないので「コンビ撮影で〜す♪」とかはめちゃくちゃ羨ましい。
ともあれ、今現在は諸事情によりコスプレから引退しているが、仮に復帰したとしても、ぼっち撮影はやめないと思う。
寂しいやつ…と思う一方で、私のフットワークが重力に逆らうレベルで軽いため、他者がついていけないのだ、と思い込むことにした。
しかし運動するとか、そういうフットワークに関しては地球の重力が十倍以上になってしまうので、全ては思い込みだ。
今週のお題「体調管理」〜見直すべきは物忘れ〜
今週のお題「体調管理」
去年はほぼ半分が病気だった。
それも入院するほどではなく、気合いさえあれば乗り切れるでしょと言われがちな微妙なラインの症状だったため、本人だけがツラい。
なので散々病状について愚痴った一年であり、ひとまずツラいと言うことを理解してくれた人々には感謝しかない。
もっとも、一番キツかったのは逆流性食道炎だったが。
簡単に説明すると、暴飲暴食などで胃酸が増えて逆流し、食道が炎症を起こすのだが、これがキツい。食道だけでなく、喉まで炎症を起こすと、もはや地獄だ。喉が焼ける。比喩表現ではなく、焼ける。本当にそれぐらい痛い。
肝心の胃はとっくに暴虐性を失い沈黙していると言うのに、喉の方には痛み止めが効かない。この状態で喉を殺菌すると、それはそれで症状悪化に繋がるのではないかと危惧されるので、下手なこともできない。
無論、喉を痛めている間は声は出ないし、唾液も飲み込めない、呼吸するだけで激痛が走る。もうなんかこれは前世の業の報いなのではないかと疑うレベルだ。完治するまで四ヶ月ぐらいかかった。
さて、地獄のような喉の痛みに襲われ、下手に殺菌すらできない恐怖に見舞われた私が心がけている体調管理法だが、これだけは生きてきてン十年ずっと続けていることがある。
手洗いとうがいである。
潔癖性ではないが、外から帰ると必ず手洗いとうがいをする。
これはもう習慣みたいなもので、しないと逆に気持ち悪くなってしまう。
扁桃腺が弱いので、どうしても日頃の習慣でうがいをしないと風邪を引きやすいのだ。幼い頃はしょっちゅう風邪を引いていたが、意識して手洗いうがいをするようになった頃から格段に減った。引かなくなったわけではないが、昔に比べれば謎の秘薬を使ったのではないかと言われるレベルで引かなくなった。
ちなみにのど飴は殆ど舐めない。
手元にあると延々と舐めてしまうので、カロリーがやばい。
それでも風邪を引いた時は舐めることもあるけれども。
ちなみに前述の食道炎で喉が焼けると言ったが、私の場合、理由は暴飲暴食が主であり、外からきた菌のせいではない。それは菌に対する濡れ衣だ。
あと他にも要因はあるのだが、信憑性がやや気になるし、ググったら別のことで不安になるような検索結果が出たので、そっちは気にしないことにした。
ともあれ、面倒なことでも習慣づけて「やらないと気持ち悪い」レベルになると、精神的なハードルが下がる。代わりに、それができない環境でのストレスはマッハだが、手洗いうがいならそこまでマッハになることは……ああ、宿泊先でうがい薬忘れたらショックは半端なかったなぁ。
なので、我が家にはでっかいボトルのうがい薬のほか、携帯用のボトルに入ったうがい薬(小分けにしたものではなくて、少量サイズが売っている)も置いている。
そして携帯用を入れてくるのを忘れるのである。
私がまず見直すべきは、体調管理よりも物忘れだなぁ……。
何を着て寝ますか?と聞かれて〜オタク女の香水事情〜
「N°5を数滴」と答えたのがマリリン・モンロー。
マリリン・モンロー伝説の発言の発端は?シャネルが秘密公開! - シネマトゥデイ
一方、オタク女も香水は持っている。
旬ジャンルの宿命である。
最近はですね、キャラ香水めっちゃ出るんですよ。
コナンだけでもこんだけ出ているんですよ。
コナン以外も香水事業が凄い。
しかしこんなに香水を持っていても、そう毎日出かけない場合はただただ公式に貢いだ証明にしか……つまりあれか、トロフィーみたいなものか!
ちなみに赤井さん(管理人の最推し)の匂い、ある程度はターゲット層を意識して女性がつけても違和感がない感じだけれども、メンズ寄りの匂い。
もっと言うと、子持ちのサラリーマンがつけてそうなイメージの匂いがする。
男性キャラの香水って難しいね、買うのは女性が多いそうだし。
USJ『名探偵コナン』ミステリー・レストラン期間延長
ユニバーサル・スタジオ・ジャパン。略してユニバ。
クールジャパン2018の『名探偵コナン・ワールド』のショーの一つである、ミステリーレストランが期間延長となった。
チケット完売日続出、熱いご要望にお応えして開催期間の延長を緊急決定!【名探偵コナン・ミステリー・レストラン】ウェイターとして会場に居合わせた安室とともに推理する、新しい食体験を堪能しよう!延長分は、本日15時~販売開始! #USJ https://t.co/fxrgvbgUu8
— ユニバーサル・スタジオ・ジャパン公式 (@USJ_Official) 2018年1月9日
名探偵コナン・ミステリー・レストラン|ユニバーサル・クールジャパン 2018|USJ
開催期間は2018年2月1日(木)~3月20日(火)から、なんと5月6日(日)まで延長となった。
ただ注意すべきなのは、4月9日~4月27日の月~金曜は開催しない点だ。
つまり4月はほぼ土日のみ。
なのだが、1月9日の時点では4月8日分までしか販売していないので、まだまだチャンスはある。土日しか行けないよ!でももうチケットが取れないと嘆いていた人は是非チャレンジしてみて欲しい。
ミスレスに関しては過去記事でも言及している。
過去記事の通り、注意して欲しい点がある。
それは1月31日から販売分の入場券が値上がりすることだ。そのため、もう行く!絶対に行くんだから!と決めたら、入場券も同時に買っておくことをオススメする。オススメと言うか、そうした方が絶対に良い。
(2.5回以上行く人は、いっそ年パスにしてもいい気はする)
ちなみに。
ミステリー・レストランもだが、同時開催のコナン・ザ・エスケープに関しても言えるのは、アトラクション体験時間が指定されている点だ。
特に午前中に指定した人は、可能であれば、ウェブチケットストアで事前購入し、ダイレクトイン、宅配、ローソン店頭引取のいずれかを指定することを強く勧める。
ちなみにパーク引換はダメだ。
何故なら、ユニバのチケットブースは相当並ぶのだ。
パーク引換がダメな理由もそれ。結局ブースに並ぶので、正直言って事前に買うメリットが殆どない。
開園の一時間前でもかなり並ぶ。もっとも、並ばない日もあるにはあるのだが、基本的には並ぶもの、混雑するものと想定して行くべきだ。
「どうせ平日だし大丈夫でしょ♪」は甘い。
何故なら、平日は平日でオープンしているチケットブースの数が少なく、客を捌く量が減ることで結局休日レベルの入場ペースになってしまうのである。
なお、このチケットブースで入場券を買ったら、すぐに入れるわけではない。
ブースを抜けたら、今度はパークゲートに並ばないといけないのだ。スタートダッシュが遅れるレベルの話ではない。
正直、すんなり入れる時は入れるのだが、並ぶ時は1時間以上をロスすることもある。
「ローソンが近くにないから無理」「宅配は送料かかるから勿体ない」「ダイレクトインはよく分からないから怖い」の意見はあるが、現地で並ぶだけの1時間は単なるロスでしかない。
特にワンデイで入る人は、あまりに勿体ないロスだ。
ローソンまで車を出す、送料を出す、ダイレクトインについて調べる、それだけの価値は絶対にある。
チケットブースめっっっちゃくちゃ並ぶから!!!!!えっぜ〜んぜん並ばなかったよぉ〜ってのは運が良かっただけだから!!!!よかったね!!!
まぁ、並ぶのが好き、アトラクションはどうでもいい、並ぶのが快感なの♡と言う人には、無理に言わないけれども。でも自己責任でね。
ぶっちゃけパークゲートで詰まることもあるので、それなら回避できるロスは回避しましょうよと言うお話。まかり間違っても、クルー(従業員)にあたらないでね。
チケットブースが混雑していて、体験時間の受付に間に合わなかった…なんて事態、あまりに悲しい。そんなつらい体験を、世界最高をお届けしたいテーマパークでして欲しくないのだ。関西人としても。
ちなみにミステリー・レストランのチケットは、パーク内の開催場所での引換となるため、チケットブースに並ぶ必要はない。
なのでミステリー・レストランのチケット購入に関しては「え、パーク引換しかないけど、ブースに並ばないといけないの?」と悩まなくていい。
しかしドリンクが930円か……ま、アニメイトカフェで2杯分と思えば。
劇画チックでほのぼの!育児エッセイ漫画『ヒゲ母ちゃんと娘さん』の感想
元気を出したい。そう思った時に過去更新分も再読するのが、ヤマモト喜怒さんの『ヒゲ母ちゃんと娘さん』だ。
ゆるい。ゆるすぎる。なんだヒゲ母ちゃんって!
その理由は絵のインパクトもあるのだが、何よりも「押し付けがましさがない」ことが一番の要因だ。
育児エッセイは、まるで訓戒のような台詞が出がちだ。
育児とはこういうもの、と、口頭…漫画の場合は台詞か独白だが、育児経験者によるありがた〜〜い、諭すようなお言葉が出てくることが多い。ポエムになっていることもある。
だが、ヒゲ母ちゃんはそれが感じられない。
ギャグ漫画なのである。
しかし、ヒゲがあって筋肉隆々の母ちゃん(?)とむっちむちの娘さん、そしてモヒカンの世紀末な旦那さんに巨体猫のゴメスくんは、この独特の画風によって異質な印象を受けるものの、そのフィルターを外すか慣れてしまうと、実に穏やかで自虐のない素直な育児エッセイ漫画になる。それが面白い。
ヒゲ母ちゃんは、娘さん(この呼び方が可愛い)を愛している。
元気いっぱいの娘さんが大暴れしても、ヒゲ母ちゃんも世紀末な旦那さんも怒らない。くよくよしない。そうだ、くよくよしない、それが良いのだ。
さきほど訓戒と言う言葉を使ったが、もっと言えば「親としての悩みを共感して欲しい」と言う願いがあまりに強過ぎる育児エッセイは、どうにも気軽に読めないのだ。
「子どもが言う事を聞かない」→「子どもにも言い分がある」→「気づかなかった自分を反省する」……この流れがあったとして、願いが強過ぎる育児エッセイでは、何ページにも渡って「私はダメな親だ…」「どうしたらいい…」と煩悶する姿が描かれる。
この悩みは、恐らく、育児経験者やあるいは育児のまっただ中の人は共感できるのだろう。そして読者ターゲットは、そういう人達だ。
しかし、『ヒゲ母ちゃんと娘さん』は、ゆるいのである。
「ん〜〜〜〜ま、いっか!」で済んでしまうのである。もはや爽やかと言っていいが、決して娘さんを見捨てているとか、そういうことは全くない。だが娘さんへの愛を押し付けるような表現もない。ただただ、表現が素直なのである。
つまり、悩みを作中では切り捨てているのだ。実際、育児をしていく上では悩みも尽きないだろうが『ヒゲ母ちゃんと娘さん』の読者ターゲットは、悩みを持つ人よりは育児経験が乏しい、あるいは皆無の人なのかもしれない。
「私は育児が楽しい!大変だけど、娘さんと一緒で楽しい!」悩む親御さんにとっては、ヒゲ母ちゃんの愛情は真っ直ぐで眩し過ぎる可能性がある。決して作中では、台詞でそう高らかと宣言しているわけではないのだが、まさに行間(コマ間…?)から読みとれてしまうのだ。
育児エッセイは教訓めいたものになりがちだ。それがどうも苦手な人もいる。そんな人には、ただただ素直な育児を楽しんでいる、そう感じる『ヒゲ母ちゃんと娘さん』を奨めたい。そして育児経験がない人も、ゆる〜いギャグ漫画として読めてしまう。
なお、『ヒゲ母ちゃんと娘さん』ふんわりジャンプでWEB連載をしているため、無料で読むことができる。※一部エピソードはコミックスにのみ収録されている。
コミックスは現在3巻まで発売中。
要約すると、肩肘張らずに読める育児ギャグエッセイ。
でもちゃんと愛情を読み取れる。ううぅん、楽しそうなご家庭だ。
アマでも小説が書きたいんや!①語彙力はMP
◆前置き
管理人は腐女子で、しがない同人作家でもある。
好きで書いているので、指示や校閲を受けながら執筆しているわけではない。
プロとアマの違いは「それによって生活しているか」とよく言われるが、小説家に関してはデビューをしても専業で食べていくのは難しいとされる。
よって小説家に関しては「正式な仕事として出版社から依頼されて、商業で出版したことがあるか」がプロとアマの境界と考えて良いかもしれない。
それはさておき。
迸るパッションを表現したい。同人誌を作りたい。二次小説を書きたい。
そういう気持ちになった時、どうしたらいいのか。
書けばいいのだ。
しかし、書きあぐねている人は多い。
日本語だからすぐに書ける!と思ったら、高確率で「うっ…」と詰まる。
文章を繋げられないのだ。言葉が出てこなくなる。
辞書を引こうにも、どう引けばいいのか分からない。
乗り越えなくてはいけない壁があるのは分かるのだが、その壁をどう越えればいいか、の前に、そもそも壁がどこにあるのか分からない。そんな状態に陥り、筆を置いてしまう。
アァーーもったいないー!書いて!私の推しカプの小説を!!!!
前置きが長くなったが、いわゆるプロではないものの、好きで同人で二次小説を書き続けている人間ではあるので、アマ向けの小説の書き方と言う方向で話をしていこうと思う。
◆語彙力はマジックポイント
小説だけでなく、文章をすらすらと書ける人と、そうでない人の差がどこで出るのか。
それは「語彙力」だ。
英語のテストに向けて、英単語を覚えた人は非常に多い。あれと同じことだ。いかに文法を叩き込んでも、単語を知らないとそもそも文章を作れない。もとい、他者に思っていることを伝えられないのだ。
日本語も同じだ。また、日本語の小説は基本的に「同じ表現を繰り返すのはよくない」とされる。様々な意見はあるが、およそ共通する考えは「単調になって飽きる」からだ。
同人界隈でよく言われているのが、小説は日本語(母国語)だから誰でも書ける、と言うことである。確かにそうだ。日本語で文章を書いたことがない、日本国籍で日本在住の人間は殆どいないだろう。
(一方で絵を描くのは、義務教育中ならまだしも、高校以降は選択授業になることも多く、専門的に勉強するものと言う意識が強い。そのため特殊技術に見えがちだ。ましてやストーリーがある漫画は、それ以上に難しい…と考えられている)
だが、それでも書けなくなるのは、語彙力=文章表現のストックが、普段文章を書いている人に比べると、初心者は圧倒的に足りないからだ。
初心者はまず本を読めと教則本やハウツーサイトで言われる理由は、まさにそこにある。
逆に言えば、ある程度の読書量がある人は、語彙が脳内に蓄積されている。それを適切に使う方法を学べばいい。つまりRPGで言うと、MPの数値は高いのだが、高い威力のある魔法は使えない状態と考えればいい。
MP=語彙、魔法=表現、と言うことだ。
読書は殆どしない、でも絵は描けないから小説で……と思い、書き始める場合は、そもそものMPの数値自体が低いと考えて良い。自分のMP値以上の魔法を使うことばかり考えていると、何もできなくなるのは至極当然と言える。
そして語彙力を高めるにはどうしたらいいのか。
それはもう、日々の積み重ね以外にない。本を読むしかないのだ。
正直に言って、小説を年単位で書き続けている人は、プロアマ問わず、すでに積み重ねたものを持っているので、手っ取り早く自分達と同じレベルになるような方法があるなら自分達が知りたいのだ。
それ使ってもっとレベル上げたいから。
だが、あえて言えるとすれば、読書量=蔵書量ではないこと。そして読むのは小説に限らないこと。これぐらい。
周囲に対して蔵書『量』を自慢する人間もいるが、それは「ふーん」ぐらいで聞き流していい。この量だけを自慢する心理は長年私もよく分かっていなかったが、最近になって痛バッグに手を出し「キャラにどれだけ金かけているかをマウンティングしたい」人の存在を知ったので、恐らくそれに近しいものがある。
痛バッグに関して書いた記事は以下の通り。
ちなみに、蔵書量ではなく、どんなものを収集して、どういう知識を得ているか、具体的に話してくれる人の話は参考になる。つまり、自分の蔵書のポイントを心得ている人は、その分野に関する知識が深い。
手当たり次第に買い集めて、読みもせずに死蔵し、冊数「だけ」が拠り所と思われる人は本当に「うちには○万冊あって〜」としか言わない。「なんでもあるよ〜」って人に、具体的にこの本があるかと聞いてもだいたい返事はない。
もちろん、例外と思われる、真の乱読派な読書家はいるが、そうした人はそもそも何万冊の蔵書がと、それを売りにはしない。まともに数えている暇があれば本を読んでいるような人だからだ。
長くなったが、うちには本を置くスペースがない…だから読書はちょっと、と言うのは待って欲しい。正直に言う。読めるなら電子書籍でもいい。図書館を利用してもいいし、友人と貸し借りをしても、ともかく読書をしたなら、それはもう読書なのだ。
蔵書を増やすことが読書ではない。知識、語彙、表現、ともかく本から何かを得る行為が読書なのだ。
もっとも、勉強のために読む、と言うのはなかなかハードルが高い、もといモチベーションが保ちにくいので、やはりゆるーい気持ちで読める本も傍に置いておくと落ち着く。そしてゆるく読める本も「リラックスして読める」利点がある、つまり学ぶ点があると考えて良い。
あとは小説以外の本も読むこと。
漫画でもいいし、専門書でもいい。ネットの記事でもいい。ただ、ネットの記事はある程度の真偽判別が必要なため、鵜呑みにしない。ニュースサイトの記事でネタを拾うのも面白い。
◆便利な魔法『慣用句』
最後に語彙力を高めつつ、表現力も広げていく場合。
優先的に学びたいのは「慣用句」だ。
「匙を投げる(=諦める)」「喉から手が出る(=どうしても欲しい)」などが慣用句となる。言わば言い換えであり、同じ言葉を繰り返すと単調な印象になる日本語の文章、特に小説では重要な存在となる。
ただ注意すべきは、使い方を間違えると意味が全く通らなくなってしまうこと。MP消費がそこそこでも高威力を発する魔法だが、呪文を失敗すると効果がない…と言ったところだ。
これは高校の頃の国語便覧があれば、だいたい見開き分ぐらいは載っているので、それを読んで意味ごと覚えるのが案外有用だ。
慣用句の辞書を買ってくるのも良いのだが、覚えると言う点では、辞書よりも慣用句を主体にした国語ドリル(中高校生向けのもの)で、とにかく網羅的に覚えて数を増やす方が楽だと私は考えている。
◆余談と『作家刑事毒島』
同人とは言え、小説を書いている人の多くは、それなりに日々積み重ねたものを持っており、常に積み重ねている。確かに、ポッと出ていきなり人気作家に!と言うこともないわけではないが、そうした人が出た場合はそれなりに話題になる。話題になる、と言うことは、そう滅多にあることではないことの裏返しだ。
そのことについては『作家刑事毒島』でも描かれている。同人の話もほんの少しだけ出てくるが、タイトルにある名前の通り、毒舌炸裂でワナビに会心の一撃しか飛んでこない推理小説なので、同人やりつつ実はこっそりプロも目指したいな〜っと思っている人で、Mッ気があったら読んでみて欲しい。
◆三行でまとめた
つらつらと書いた時点で「長い、三行にまとめろ」と思われてしまうのは必然なので、とりあえずまとめておくと。
同人小説を書きたいけど書き進められない人は
語彙力(MP)を高めるため色々と本を読むか、
慣用句を覚えればグッとハードルが下がるよ!
と言うだけのお話なのである。
そのうち、しがない同人作家が使っているツールとか、辞書とか、そういうのまとめた記事を書きたいな〜。
おめでとう!そしておめでとう!タイバニ新作アニメ制作発表
『TIGER & BUNNY』、略してタイバニの新アニメシリーズプロジェクトが発表された。
「TIGER & BUNNY」新アニメシリーズプロジェクト始動!待望の新シリーズが企画中であることを発表いたしました。続報は公式サイト、公式ツイッター等で今後発表予定です。どうぞお楽しみにお待ちください。 #tigerbunny https://t.co/hHW0d9vBQ0 pic.twitter.com/kSIaRzMlnB
— TIGER & BUNNY (@TIGERandBUNNY) 2018年1月5日
タイバニは熱狂的なファンが非常に多く、また二期を願っていた彼ら(彼女ら)の結束は固い。シュテルンビルト*1は素晴らしい市民に恵まれている。
NEXTと呼ばれる特殊能力を持つ人間が現れた近未来的世界。大都市シュテルンビルトでは、目覚めたNEXTの能力を悪用する凶悪犯罪が後を立たない。
しかし街には、各社がスポンサーとなり、同じくNEXTの能力を以て戦うヒーローが存在する。ヒーローの活躍は『HERO TV』で中継され、ランキングによって「キング・オブ・ヒーロー」が決定する。
主人公の鏑木・T・虎徹は、ヒーロー歴10年のベテランながら芽が出ないものの、信念をもって地道に活動していた。だがスポンサー企業はヒーロー事業部を売却。新規参入のアポロン・メディアのもとで再スタートを切る。そこで初のバディ・ヒーローとして、期待の新人バーナビー・ブルックス・Jr.とコンビを組まされることになる。
同じNEXT能力を持ちながら、反対の性格、違う行動理念を持つ二人は馬が合わなかったが、交流と戦いを通して信頼関係を築き、最高のバディ(相棒)となっていく。
第一期は二部構成で、1〜13話はバーナビーの両親を殺した犯罪組織・ウロボロスを追い、犯人である凶悪犯・ジェイクを追い詰めるまで。14〜25話はバーナビーの記憶に改竄があり、それを行った真の犯人を捕らえるまでの話となる。なお、虎徹は能力減退を理由に引退、バーナビーもそれを追った。だが最終話では、虎徹はワイルドタイガー・ワンミニットとして復帰し、バーナビーも彼の危機に馳せ参じた──と言うのが、これまでの流れである。
私はタイバニはリアタイしていた。
面白く感じていたものの、同人に手を出すハマり方ではなかった。
理由はある。もう本編だけでお腹がいっぱいになったからだ。
腐女子としての私は、隙間を埋めるのが好きだ。
だがこの二人は隙間がない。いや、あるのだが、その隙間が物語の中で確実に埋まっていくのである。そこに女性の影がさほどないも大きい。
さほどない、と言うのは、虎徹は最愛の妻・友恵とは死別しており、さらに同じヒーロー仲間のブルー・ローズことカリーナ・ライルに想いを寄せられているからだ。が、この二人もバディとしての虎徹とバーナビーの間に大きく介入していくことはない。つまり女性が原因で虎徹とバーナビーがギクシャクする…と言うことはないのだ。
となると、二次創作で埋めなくてはいけない隙間が、私の場合は殆ど見出せなかったのだ。もちろん、数あるタイバニ同人を否定するわけではない。あくまで私の場合だ。
見出せなかったものの、作品としてのタイバニは非常に面白く視聴していたので、新アニメも期待大だ。
なので腐抜きで観てしまっているのだが、それでもこの作品は面白い。
今までの「ヒーロー」に抱いていた疑問を、上手く解消してくれているからだ。
ヒーロー、あるいはヒロインと呼ばれる「正義の味方」。
彼らの多くはボランティアである。
セーラームーンが分かりやすいかもしれない。いや、私がパッと浮かんだのがこれだったからなのだが。ともかく、セーラー戦士達は命を賭ける戦い(アニメでは実際に命を落としている)を繰り広げながらも、報酬は一切ない。
むしろ報酬と言う概念を持ち込むことこそ、下世話な話だと捉えられてしまう。彼ら、彼女らは運命に導かれて、自分達の生きる場所を守る使命を負って戦う。たとえ、プライベートはもちろんのこと、普通の人間としての営みを捨ててでも、だ。
※便宜上、以降は彼女らであっても彼らに統一します。
だが、これはあまりに理不尽な話だ。運命と言う言葉で、彼らの人生の選択は奪われてしまっている。彼らは選ぶことも、拒むこともできない。何故なら、運命だからだ。戦う運命に生まれた以上は、そのために生きなくてはいけない。
現在の日本では、職業選択の自由が憲法で保障されている。だが、運命は憲法をも上回る絶対的存在として扱われてしまう。そういうさだめだから、の一言で片付いてしまうのだ。
もちろん、戦士達が納得済みであれば問題ない。アニメにだが、セーラー戦士も「辞める」と言う決断ができると思われる話があった。亜美ちゃんが海外へ行く決意をする話だ。もっとも、本当に行ってしまっては話が続かないので仲間のために亜美ちゃんは戻ってくるのだが。
…90年代までは「絶対運命」を背景にした作品が多かったように思う。もちろん全てがそうではないが「そういう宿命を負った主人公と仲間」と言う一種のパターンが形成されていたのは間違いない。
その理由は分かりやすい。そもそも、運命が一般人には縁遠い話だったからだ。願望の一つである。「世界に求められたい=認められたい」と言う欲求が、こうした絶対運命の主人公を生み出した、と私は思っている。
話が逸れたが、タイバニは「絶対運命」と「ヒーロー=正義の味方」を完全に切り離した会心作だ。
タイバニにおけるヒーローは、確かにそういう運命にあるのかもしれないが、定義としては「報酬のある正社員」であり、社会的地位のある立派な職業として人々に認知されている。ゆえに解雇と言う憂き目にも遭う(世知辛い)。
タイバニが放送された2011年は、今よりも就職率が厳しかった時代だ。就職氷河期の終結後に訪れた、リーマンショックの影響である。
またブラック企業の存在が認知され始めた頃とも言える。就職率は下がった中で勝ち取った大企業の内定すら、人生の成功を約束してくれなくなった──もとい、あらゆる勝ち組神話が崩壊した時代だ。
そんな時代に、無報酬・無保障の正義の味方に対するアンチテーゼを描いたことも、タイバニのヒットの要因とも言える。
NEXT能力保持者に限られるが、社会的保障を受けられ、なおかつ自由選択の職業・ヒーロー。これも時代が生んだ「憧れ」の形である。
しかし売り手市場に回復してきた現在、新タイバニはどのような世界を見せてくれるのだろう。
もっとも一番気になるのは、スポンサー枠を獲得するための熾烈な企業間抗争だが。
このスポンサー制度もやっぱり面白い。これについてもそのうち綴れたらなぁ〜。
*1:舞台となる架空の都市