ごはんの種は蜜の味

二進も三進もいかないアラサーなオタク女の日々

勉強が評価されにくかった時代

これから書くことは、あくまで管理人の体験に基づくものであり、当時の全ての学生がそうであったと論じるものではない。

 

 

管理人が新卒カードを切って就職活動をしていた頃は、The global financial crisis=リーマン・ショックの影響を最も受けていた時代だ。
ここ最近の景気や有効求人倍率が上昇している、と言われる時、ここを起点にして上昇していると考えられている。つまり、就職が困難を極めた、もっとも暗い時代だった。
ここ最近に景気が回復していると言われても、自分達がもっとも社会に対して夢を見ていた新卒の就職活動時に、史上最悪の有効求人倍率をピンポイントで経験している人間には、だったら何故自分達がハズレくじを引いたのかと言い返したくなるほどだ。

 

管理人は当時、ゲーム会社への就職を希望していたが、夢は破れた。
なにせ、もっとも深い谷底の時代であり、周囲の社会人はみな、自分達よりも浅い場所にしかいない。彼らは「どこかは就職できるって!」と楽観的だが、当事者達は肌で感じていた。無理だ、のれんに腕押しどころか、のれん自体が存在しない。一条の光も差さない奈落を歩いている。

当時の就活生の多くは、それを経験しているだろう。

そんな中で就職セミナーに参加したり、就職支援を受けたりしても、彼らの語る攻略法は彼らの時代に通用した方法論であり、企業も就活生も疲弊している時代にはそぐわなかった。ただし世間が暗中模索を始めた時代なのだから、そのことを誰も責めることはできない。

 

求人がそもそも少ない時代、勉強ができるだけではダメだった……を通り越してしまい、企業は「勉強よりも個性」を求めていた、へんてこな時代だった。

大学の成績で優が揃う人材よりも、国家資格を苦労してとった人材よりも、留学と称した海外旅行に一度だけ行った学生が持て囃され、大学の授業よりもバイトに勤しんだ学生が賞賛された(なお、本当に留学制度を利用して懸命に学んだ人や、授業と両立してバイトに勤しんだ人は、先の言い方で過剰反応することはないだろう)。

海外に行ったことがない、バイトも殆どしていない、しかし大学に真面目に通い詰めて勉学に励んだことは、アピールポイントにならなかった。おかしいことだし、にわかには信じられないことだが、今から十年ほど前の就活では珍しくなかった。

 

前述通り、管理人はゲーム会社への就職を希望していた。
しかし、全滅だった。新卒にも、何らかの商業に近い経験を求めている企業が多かった。
「こういう仕事をしたいです!」と望んでいる新卒を教育する余裕が、どの企業にもなかったのだ。即戦力以外は回れ右が当たり前のように宣告されていた。
もっとも企業も、採用できるのは一人か二人のため、どうしても教育コストが低くて済む人材を優先したいだろう。彼らにとっても苦しい時代だったのだ。

 

若かった私は、全て自分が悪いと考えていた。

勉強が足りなかった、あるいは勉強を削ってバイトするべきだった、夢なんて見ない方がよかった。などなど。

また、誰も原因が分からなかった。時代のせいと言えたのは、結果論だ。

私は今でも、就活(転職)に対して恐怖心がある。得体の知れないものを感じてしまう。評価をされない、無碍にあしらわれるなど、そういう次元の話ではない。

あの頃に味わった、奈落の底を歩く感覚が、まだ体に染み付いているせいだ。

それでも少しだけ、あれを「時代が悪かったのよ」と、責任転嫁ができるようになってきた。全ての業を自分で引き受けないで済むようになった。

 

 

景気が回復し、就職率が上がっていることを、少しばかり素直に喜べるようになったので、吐き出すように記事にした。

よって「私達はこんなにツラかったのよ」と、今就職・転職で苦しんでいる人に追い打ちをかけるつもりはない。しかし、同じ暗闇を歩いてきた人間はたくさんいる。とだけは言いたい。どうか、ああ、そうなのね、ぐらいで聞き流して欲しい。

 

それぐらいの受け止め方が、きっと心に一番良い。