ごはんの種は蜜の味

二進も三進もいかないアラサーなオタク女の日々

便所飯は「ランチメイト症候群」と言うらしい

管理人が大学生〜新卒ぐらいの頃に流行り出した言葉が『便所飯』。

いわゆる「ぼっち飯」であるが、より狭義的に「一人になれるトイレの個室で食べるご飯」のことである。

便所飯、もといぼっち飯は現在「ランチメイト症候群」と呼ぶらしいと、つい最近知った。ちょっと語感がオシャレになっている。

 

 

管理人は一人でも平気で飲食店に入るし、弁当も食べる。

 

とは言え、ぼっち飯を強要された時期もある。
中学時代だ。端的に言えばいじめであり、つま弾きにされていた。
が、神経はそれなりに図太い一面があったせいか、普通に教室で食べていた。周りに人がいないだけである。それがふてぶてしいと、気に入らない層もいたかもしれないが「なぜ私が外で食べなくてはいけないのか?」と疑問から、とりあえず教室に残っていた。

 

しかしこれ自体がトラウマになっていないのは、がらりと環境が変わった高校では普通に友人と教室で弁当を食べていたからだ。
何よりも家族と一日1食は食事を共にする環境だったため、ぼっち飯への恐怖心は育たなかった。

 

管理人は一人で行動するのも好きだ。

特に大人数に囲まれて仕事をしていた時、むしろ誰かと喋りながら食事をするのがわずらわしいことが多かった。
これは毎回違うメンバーであれば、そう思わなかっただろうが、毎日毎日同じ顔と仕事中も会話をするのに、昼休みまで拘束されたくはなかった。
何様と言われそうだが、「仕事中もそれなりに会話をする」「毎日毎日同じメンバー」が問題だった。これが一ヶ月に1回とかなら、まったく苦ではない。ましてや強制されるとなるとただ苦痛なだけだ。
そんなわけで、昼休みは基本的に外へ出て、あちこち飲食店を巡ってランチをし、店ごとの特徴や接客などを観察していた。客層も見ていた。そして時々、同僚と食事をする機会がある時に紹介する。話題提供だ。

 

管理人は一人であること=孤独であることとは思っていないし、孤独はそこまで好きではない。

一人で行動するのは、他人と行動する時に備えてのことでもある。

フットワーク軽く、あちこちの飲食店を巡っていれば「あの喫茶店はゆっくりできる」「ここは分煙が甘いので匂いがつく」と言った知識がつくし、本屋を巡っていれば「ここはコミックが豊富」「コミックは少ないが官能小説が多い」と言う特徴を他人に教えることができる。
常に誰かと一緒に行動していないといけなくなると、フットワークは一人でいるよりも重くなり、かつ相手に提供できる情報も底をつく。

 

コミュニケーションが得意な人間は、一人の時間を大事にする。
大事にすると言うことは、ただぼーっとしていることではなく、一人でいる間にフットワーク軽く行動すること。読書でもいい、映画を観るでもいい、旅行もOK。

そして一人の時間で得た情報や知識を、会話なり文章なりで、他人に提供する。相手にメリットのある会話ができる。
それが本当の意味でコミュニケーション能力の高い人間だ。

 

そう言う意味で、オタクはコミュニケーション能力が高くなる素地を持っている。
ただ、あくまで趣味の追求に没頭しているだけでは、人脈も視野も狭いままで、そこに問題が発生する。要はバランスだ。

 

……と、教えられてきたが、実践できているかどうかは過大評価したくない。

実際のところ、一人でぼーっとカフェ飯するのも好きだし、友達とグダグダ上等の飲み会をするのも好きだし、とりあえず好きでやっている。

一人でいることを寂しいとは思わないが、一人でいることは寂しいことだと思っている人を見るのは寂しい。

 

そのため、友達代行サービスなるものを見た時、この世は地獄か乱世か、と目眩を覚えた管理人だった。

SNSでちょっとしたリア充を演出するために10〜15万ぐらいかかる。

そんな金あったら、一人で温泉宿にこもって缶詰になっている作家気分を味わう贅沢な遊びをしたい。